元郷 氷川 神社。 元郷氷川神社の御朱印|毎月変わる花スタンプに隠された文字を探せ!

元郷氷川神社 / 埼玉県川口市

元郷 氷川 神社

神社情報 元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ) 御祭神:素盞鳴命・市杵島姫命 相殿神:倉稲魂命・菅原道眞公・大山咋命・火産霊命・奥津比古命・奥津比賣命 社格等:村社 例大祭:10月第3日曜 所在地: 最寄駅:川口元郷駅 公式サイト: 御由緒 当社は室町後期に当地を治めていた岩槻方の武将、平柳蔵人により武蔵國一宮氷川神社を勧請し創建されました。 平柳氏の領する地は、平柳領十五ヶ村(元郷村、弥兵衛新田村、領家村、新井方村、十二月田村、樋爪村、二軒在家村、上新田村、中居村、小淵村、辻村、前田村、川口村、飯塚村、浮間村)と呼ばれ、元郷はその本村であり、平柳蔵人は自身が治める地域の安寧を祈願し、館を構える元郷に社を建てたのです。 そして鎭座以来数百年間に亘り、地域の鎮守神として氏子に崇敬されてきました。 主祭神は、素盞嗚尊ならびに市杵島姫命の二柱の神様です。 この二柱の神様は父と娘の間柄であることから、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神として信仰を集めております。 「子は全ての宝物にも勝る何よりの宝」であり、子孫繁栄は家の幸せの象徴でもあります。 その子宝(子授け)成就・子孫繁栄に霊験灼たかな社であることから「しあわせの宮」と称されております。 平柳領十五ヶ村の本村であった元郷村鎮守として崇敬を集め、かつては「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたと云う。 この地域に数多く存在する氷川信仰の神社で、地名から「元郷氷川神社」と呼ばれる。 主祭神として素盞鳴命・市杵島姫命の父娘を祀る事から、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされており、現在は「しあわせの宮」と称され信仰を集めている。 室町時代後期に領主・平柳蔵人によって創建 社伝によると、室町時代後期に創建と伝わる。 当地を治めていた平柳高綱(平柳蔵人)が、霊夢により「」を勧請したと云う。 現在の元郷4丁目には平柳蔵人居館跡の碑が残る。 以後、高綱の死後も一帯は武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ続ける事となり、当社は元郷村の鎮守として崇敬を集めた。 四ノ宮と称された江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社 元和八年(1622)、現在の地に遷座。 荒川の度重なる水難を避けるために遷されたと云う。 この頃の当社は「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた。 そのため扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字が残る。 文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。 (元郷村) 氷川社 村の鎮守なり。 四郎の宮と称す。 其故を知らず。 昔平柳蔵人霊夢の告によりて大宮町の氷川を勧請せしと云、本地正観音は蔵人が守護佛にて運慶の作なりと云。 當社は荒川の堤際にありしを元和八年九月水難を避て今の地へ移せしと云。 稲荷社。 疱瘡神社。 牛頭天王社。 別當仙學院(以下略) 元郷村の「氷川社」と記されているのが当社。 村の鎮守と書かれており、「四郎の宮」と称していたとある。 但し、「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた由緒は不詳とある。 武蔵国の一之宮もしくは三之宮とされたのが「」であるが、武蔵国四之宮は「」であったため、当社が「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたのはこうした一之宮制度からくるものとは違い、この頃には既に不詳ながら地域に広まった何らかの伝承があったのであろう。 本地仏として領主・平柳高綱(平柳蔵人)の守護仏が祀られていて、運慶作と伝わっていた。 また上述のように荒川沿いに鎮座していたが、水難を避けるために遷座した旨も記されている。 別当寺は「仙學院」(現・廃寺)が担っていた。 明治以降の歩み・南平地区の経緯 明治になり神仏分離。 当社は元郷村の鎮守として村社に列した。 明治二十二年(1889)、町村制が施行され元郷村・平柳領領家村・新井方村・十二月田村・樋爪村・二軒在家村・弥兵衛新田の7ヶ村が合併し、南平柳村が成立。 当地は南平柳村元郷となり地域からの崇敬を集めた。 安政二年(1855)には、「安政江戸地震」「安政の大地震」とも呼ばれるM7クラスの大地震が発生。 江戸を中心に多くの死傷者が出た大地震。 この鳥居もその大地震の後に再建されたものであろう。 國土安全と天下泰平の文字が見える事からもそうした再建に向けた願いが伝わる。 鳥居を潜ると左手に手水舎。 綺麗に整備されていて清める事ができる。 朱色の社殿・四ノ宮と記された扁額・立派な天水桶 参道の正面に朱色の社殿。 昭和四十五年(1970)に竣功したもので、今も状態よく維持されている。 拝殿に掲げられている扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字。 『新編武蔵風土記稿』にも由来は不詳と記されているが、当社が古くは「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれていた歴史を伝える。 本殿は覆殿に保護される形で鎮座。 拝殿前には一対の立派な天水桶。 古くから歴史ある川口の特産・鋳物で作られた天水桶には「奉納氷川神社」の文字や神紋を見る事ができる。 犬は沢山の子を産み、お産が軽い事から「安産の守り神」として古くから崇敬を集めた。 「戌の日(いぬのひ)」の安産祈願などがその最たるもの。 当社が父娘神を祀る事と犬への信仰から「安産」に結びつき、狛犬への信仰も篤かったのであろう。 社殿横にある多くの境内社や石碑 参道の左手には境内社が多く鎮座。 『新編武蔵風土記稿』には末社として稲荷社・疱瘡神社・牛頭天王社が記載されている。 明治から大正にかけて近隣に祀られていた神社が合祀・遷座されたものが多い。 一番奥は「天満宮」で、江戸時代の頃、別当寺「仙學院」持ちの天神社があったようなのでそれであろうか。 他にも一画には多くの石碑が置かれている。 当地周辺の富士講によるものか、富士登山記念碑や参拝記念碑などが並び、戦前のものが多く当地の歴史を伝える。 季節を感じさせる月替りの御朱印・男女一対の子守勾玉 御朱印は社務所にて。 丁寧に対応して頂いた。 当社の御朱印は月替りの御朱印。 季節を感じる事ができるよう植物の印が月替りで変更となる。 1月に頂いた際は福寿草で、「しあわせの宮」と称される当社らしく、中には「幸」の文字が隠れていた。 (挟み紙も切り絵風のものなど用意しているとのこと) 2017年6月より初穂料を400円に変更し、境内整備に充てるとの掲示あり。 毎月の御朱印についてはに情報が出ているのでそちらをご覧頂きたい。 また、2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。 更に授与品として「子宝勾玉」というものを用意しているのが特徴的。 緑と桃の2種類の天然石(翡翠)の勾玉で、男女一対で夫婦で持つ御守。 子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされる当社らしい御守となっている。 所感 川口市の元郷鎮守である当社。 室町時代に当地の領主であった平柳蔵人によって創建された歴史を持つ。 領地を平柳領十五ヶ村と呼び、元郷村はその本村とされ中心であり、そうした地の鎮守として崇敬を集めた。 平柳領は江戸時代以降も武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ、明治になり村の合併で南平柳村が成立、これが現在も周辺を南平地区と呼ぶ事に繋がるなど、今も僅かにその名を残している。 当社の歴史を見てもかつて「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれた謎や、氷川信仰にしては珍しい夫婦神ではなく父娘神を祀る事など、色々と興味深い。 御朱印など色々な努力も伝わり、現在は「しあわせの宮」と称される良社である。 神社画像 [ 参道 ] [ 鳥居 ] [ 参道 ] [ 手水舎 ] [ 拝殿 ] [ 本殿 ] [ 天水桶 ] [ 狛犬 ] [ 社務所 ] [ 御籤掛 ] [ 境内風景 ] [ 石碑 ] [ 境内社 ] Google Maps .

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神社情報 元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ) 御祭神:素盞鳴命・市杵島姫命 相殿神:倉稲魂命・菅原道眞公・大山咋命・火産霊命・奥津比古命・奥津比賣命 社格等:村社 例大祭:10月第3日曜 所在地: 最寄駅:川口元郷駅 公式サイト: 御由緒 当社は室町後期に当地を治めていた岩槻方の武将、平柳蔵人により武蔵國一宮氷川神社を勧請し創建されました。 平柳氏の領する地は、平柳領十五ヶ村(元郷村、弥兵衛新田村、領家村、新井方村、十二月田村、樋爪村、二軒在家村、上新田村、中居村、小淵村、辻村、前田村、川口村、飯塚村、浮間村)と呼ばれ、元郷はその本村であり、平柳蔵人は自身が治める地域の安寧を祈願し、館を構える元郷に社を建てたのです。 そして鎭座以来数百年間に亘り、地域の鎮守神として氏子に崇敬されてきました。 主祭神は、素盞嗚尊ならびに市杵島姫命の二柱の神様です。 この二柱の神様は父と娘の間柄であることから、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神として信仰を集めております。 「子は全ての宝物にも勝る何よりの宝」であり、子孫繁栄は家の幸せの象徴でもあります。 その子宝(子授け)成就・子孫繁栄に霊験灼たかな社であることから「しあわせの宮」と称されております。 平柳領十五ヶ村の本村であった元郷村鎮守として崇敬を集め、かつては「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたと云う。 この地域に数多く存在する氷川信仰の神社で、地名から「元郷氷川神社」と呼ばれる。 主祭神として素盞鳴命・市杵島姫命の父娘を祀る事から、子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされており、現在は「しあわせの宮」と称され信仰を集めている。 室町時代後期に領主・平柳蔵人によって創建 社伝によると、室町時代後期に創建と伝わる。 当地を治めていた平柳高綱(平柳蔵人)が、霊夢により「」を勧請したと云う。 現在の元郷4丁目には平柳蔵人居館跡の碑が残る。 以後、高綱の死後も一帯は武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ続ける事となり、当社は元郷村の鎮守として崇敬を集めた。 四ノ宮と称された江戸時代・新編武蔵風土記稿に記された当社 元和八年(1622)、現在の地に遷座。 荒川の度重なる水難を避けるために遷されたと云う。 この頃の当社は「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた。 そのため扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字が残る。 文政十三年(1830)に成立した『新編武蔵風土記稿』には当社についてこう書かれている。 (元郷村) 氷川社 村の鎮守なり。 四郎の宮と称す。 其故を知らず。 昔平柳蔵人霊夢の告によりて大宮町の氷川を勧請せしと云、本地正観音は蔵人が守護佛にて運慶の作なりと云。 當社は荒川の堤際にありしを元和八年九月水難を避て今の地へ移せしと云。 稲荷社。 疱瘡神社。 牛頭天王社。 別當仙學院(以下略) 元郷村の「氷川社」と記されているのが当社。 村の鎮守と書かれており、「四郎の宮」と称していたとある。 但し、「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていた由緒は不詳とある。 武蔵国の一之宮もしくは三之宮とされたのが「」であるが、武蔵国四之宮は「」であったため、当社が「四ノ宮」「四郎ノ宮」と称されていたのはこうした一之宮制度からくるものとは違い、この頃には既に不詳ながら地域に広まった何らかの伝承があったのであろう。 本地仏として領主・平柳高綱(平柳蔵人)の守護仏が祀られていて、運慶作と伝わっていた。 また上述のように荒川沿いに鎮座していたが、水難を避けるために遷座した旨も記されている。 別当寺は「仙學院」(現・廃寺)が担っていた。 明治以降の歩み・南平地区の経緯 明治になり神仏分離。 当社は元郷村の鎮守として村社に列した。 明治二十二年(1889)、町村制が施行され元郷村・平柳領領家村・新井方村・十二月田村・樋爪村・二軒在家村・弥兵衛新田の7ヶ村が合併し、南平柳村が成立。 当地は南平柳村元郷となり地域からの崇敬を集めた。 安政二年(1855)には、「安政江戸地震」「安政の大地震」とも呼ばれるM7クラスの大地震が発生。 江戸を中心に多くの死傷者が出た大地震。 この鳥居もその大地震の後に再建されたものであろう。 國土安全と天下泰平の文字が見える事からもそうした再建に向けた願いが伝わる。 鳥居を潜ると左手に手水舎。 綺麗に整備されていて清める事ができる。 朱色の社殿・四ノ宮と記された扁額・立派な天水桶 参道の正面に朱色の社殿。 昭和四十五年(1970)に竣功したもので、今も状態よく維持されている。 拝殿に掲げられている扁額には「四ノ宮 氷川大明神」の文字。 『新編武蔵風土記稿』にも由来は不詳と記されているが、当社が古くは「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれていた歴史を伝える。 本殿は覆殿に保護される形で鎮座。 拝殿前には一対の立派な天水桶。 古くから歴史ある川口の特産・鋳物で作られた天水桶には「奉納氷川神社」の文字や神紋を見る事ができる。 犬は沢山の子を産み、お産が軽い事から「安産の守り神」として古くから崇敬を集めた。 「戌の日(いぬのひ)」の安産祈願などがその最たるもの。 当社が父娘神を祀る事と犬への信仰から「安産」に結びつき、狛犬への信仰も篤かったのであろう。 社殿横にある多くの境内社や石碑 参道の左手には境内社が多く鎮座。 『新編武蔵風土記稿』には末社として稲荷社・疱瘡神社・牛頭天王社が記載されている。 明治から大正にかけて近隣に祀られていた神社が合祀・遷座されたものが多い。 一番奥は「天満宮」で、江戸時代の頃、別当寺「仙學院」持ちの天神社があったようなのでそれであろうか。 他にも一画には多くの石碑が置かれている。 当地周辺の富士講によるものか、富士登山記念碑や参拝記念碑などが並び、戦前のものが多く当地の歴史を伝える。 季節を感じさせる月替りの御朱印・男女一対の子守勾玉 御朱印は社務所にて。 丁寧に対応して頂いた。 当社の御朱印は月替りの御朱印。 季節を感じる事ができるよう植物の印が月替りで変更となる。 1月に頂いた際は福寿草で、「しあわせの宮」と称される当社らしく、中には「幸」の文字が隠れていた。 (挟み紙も切り絵風のものなど用意しているとのこと) 2017年6月より初穂料を400円に変更し、境内整備に充てるとの掲示あり。 毎月の御朱印についてはに情報が出ているのでそちらをご覧頂きたい。 また、2017年11月より、川口市内の9社による御朱印巡り「川口九社詣 勾玉巡り」が開始され、当社はそのうちの一社となっている。 更に授与品として「子宝勾玉」というものを用意しているのが特徴的。 緑と桃の2種類の天然石(翡翠)の勾玉で、男女一対で夫婦で持つ御守。 子宝(子授け)成就・子孫繁栄の神とされる当社らしい御守となっている。 所感 川口市の元郷鎮守である当社。 室町時代に当地の領主であった平柳蔵人によって創建された歴史を持つ。 領地を平柳領十五ヶ村と呼び、元郷村はその本村とされ中心であり、そうした地の鎮守として崇敬を集めた。 平柳領は江戸時代以降も武蔵国足立郡平柳領と呼ばれ、明治になり村の合併で南平柳村が成立、これが現在も周辺を南平地区と呼ぶ事に繋がるなど、今も僅かにその名を残している。 当社の歴史を見てもかつて「四ノ宮」「四郎ノ宮」と呼ばれた謎や、氷川信仰にしては珍しい夫婦神ではなく父娘神を祀る事など、色々と興味深い。 御朱印など色々な努力も伝わり、現在は「しあわせの宮」と称される良社である。 神社画像 [ 参道 ] [ 鳥居 ] [ 参道 ] [ 手水舎 ] [ 拝殿 ] [ 本殿 ] [ 天水桶 ] [ 狛犬 ] [ 社務所 ] [ 御籤掛 ] [ 境内風景 ] [ 石碑 ] [ 境内社 ] Google Maps .

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4月限定の御朱印 元郷氷川神社では、 毎月御朱印に押されるスタンプが変わります。 「勾玉巡り 川口九社詣 」は、埼玉県川口市内にある神社、9社を巡る御朱印めぐりです。 ・ ・ ・ ・ ・川口神社 ・前川神社 ・東沼神社、 ・七郷神社 ・峯ヶ岡八幡神社 川口九社詣(勾玉巡り)専用の御朱印帳があります。 管理人は 鎮守氷川神社でいただきました。 川口が今、アツイ! これから巡ってみたいと思います。 【受付時間】午前9時 ~ 午後4時30分 但し、社務の都合により対応できない日もあり。 公式サイトで対応できない日を掲載してくださっているので、 最新情報は公式サイトをご覧ください。 静かな住宅街に鎮座しています。 細い参道 参道を抜けると目の前に社殿が。 この スサノオさんの色が季節によって変わります。 元郷氷川神社から車で約10分の 鎮守氷川神社。

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